横浜地方裁判所相模原支部 平成9年(タ)36号 判決 1999年7月30日
原告 A野花子
右訴訟代理人弁護士 中山二基子
同 中山雄介
被告 A野太郎
右訴訟代理人弁護士 永見和久
主文
一 原告と被告とを離婚する。
二 被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成九年一一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は原告に対し、金一六九四万円及びこれに対する本件離婚判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
被告は原告に対し、本件離婚判決確定の日の属する月から原告の死亡に至るまで毎月末日限り金一六万円宛を支払え。
四 被告から原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物の共有持分各二分の一を分与する。
五 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物の共有持分各二分の一につき財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
六 原告のその余の請求を棄却する。
七 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
八 この判決は第二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 申立
一 原告
1 主文第一項と同旨
2 被告は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一一月一〇日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 財産分与
(一) 被告は原告に対し、金六二〇一万円及びこれに対する本件離婚判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
もしくは、
被告は原告に対し、金二九二二万円及びこれに対する本件離婚判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに本件離婚判決確定の日の属する月から原告の死亡に至るまで毎月末日限り金二一万円を支払え。
(二) 被告から原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物の共有持分各二分の一を分与する。
(三) 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物の共有持分各二分の一につき財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
4 被告は別紙物件目録記載の建物から退去し、これを原告に対し明け渡せ。
5 訴訟費用は被告の負担とする。
6 2について仮執行の宣言
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 事案の概要
一 基本的事実(《証拠省略》による。)
1 原告(昭和一〇年一一月二六日生)と被告(昭和一〇年四月一一日生)は、昭和三五年六月一日に、妻である原告の氏を称することにして婚姻の届出をした夫婦である。
原告と被告との間には、長女春子(昭和三六年三月二五日生)と長男一郎(昭和四二年三月一三日生)の二子がいる。一郎は、平成四年二月四日に婚姻している。
2 被告は、昭和三五年四月、大学卒業とともにB山電器産業株式会社に入社し、その後永らくB山通信工業株式会社に勤務していたが、平成四年からB山電器産業株式会社に戻り、平成七年四月に同社を定年退職した。
原告は、被告との婚姻後専業主婦として生活してきた。
3 原告と被告は、昭和四二年から、別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件土地建物」もしくは「自宅」という。)に居住してきた。
4 原告は、平成四年六月ころから、自宅一階居間に置いたベッドで就寝するようになり、食事も被告と別に取るようになった。平成八年八月からは原告は二階で、被告は一階で別れて生活するようになった。
5 原告は、平成九年六月、横浜家庭裁判所相模原支部に家事調停の申立をしたが、右調停は、同年九月九日、調停の成立する見込みがないとして事件終了した。
6 原告は、平成九年一〇月一一日、長女と共に自宅を出て、以後被告と別居を続けている。
7 原告は、平成九年一〇月二八日、横浜家庭裁判所相模原支部に婚姻費用分担の調停を申し立てた。同裁判所は、平成一〇年七月一七日、被告は原告に対して毎月二四万円の婚姻費用分担金の支払を命ずる審判をした。
二 争点
1 離婚原因の存否
(一) 原告の主張
原告にとって被告との結婚生活は、原告自身の感情や望みは押し殺して、趣味を楽しむことも許されず、ひたすら被告の意を迎えることのみに心を砕く生活であり、原告は、子供が一人前になるまでは必死で我慢してきたが、被告の余りの思いやりのなさに耐えられず、これ以上被告との婚姻生活を継続する意思を喪失した。民法七七〇条一項五号の事由が存する。
(二) 被告の主張
原告が、その感情や望みを押し殺して、趣味を楽しむこともなく、ひたすら被告の意を迎えることのみに心を砕く生活をしてきたということは全くない。原告は、C型肝炎、変形性股関節症等を罹患し、また、定年退職した夫である被告間には離婚原因は存しない。
2 財産分与
(一) 原告
財産分与対象財産は、本件土地建物の被告の持分(二分の一)、被告名義の預貯金六五〇〇万円、退職金一六五〇万円、年金六五五八万円(もしくは年額五二〇万円)及び保険金受領権であり、原告は各二分の一について分与を求める。
(二) 被告
本件土地建物に課された固定資産税、保全費用は全て被告が支出してきたからその二分の一は原告が負担すべきものである。預貯金は原告主張の被告名義のもの以外に原告が蓄えているもの(いわゆるへそくり)が四八八〇万円程度あるはずである。退職金は年金方式の部分を途中解約した場合には低額となる。年金、保険金受領権は財産分与の対象となるものではない。
第三 判断
一 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる(第一の一で摘示する事実を含む。)。
1 被告は、結婚とほぼ同時に就職した会社での仕事に全力を注いできたものであり、早朝六時台に出勤し、夜九時半過ぎ、ときには一一時以降に帰宅する日々で、平日帰宅してからも休日も仕事に関わる勉強をしていた。その家庭生活もこれに合わせたものとされ、朝は原告が被告のベッドまで朝食を運び、歯ブラシを用意し、立っている被告に背広を着せ、靴下をはかせるというものであり(これは平成五年四月ころまで続けられた。)、原告は被告の帰宅時には必ず家にいてこれを迎えることとなっていた。夫である被告が疲れて帰宅したときに原告が風呂や夕食の準備をしていないことは許されなかった。また、被告は、自宅に客を招き、接待することを好んだが、その準備及びときには夜中となる客の帰った後の片づけをするのは当然原告であった。その他家庭の仕事はいわゆる大工仕事まで含め原告が全面的に行っていた。
また、原告は、結婚前趣味として琴、三弦を嗜んでいたが、西洋クラシック音楽鑑賞を趣味とする被告は邦楽の音色を好まず、原告は結婚後まもないころから琴、三弦を奏でることはなくなった。
このような生活について、被告としては、自分は会社で激務をこなしており、それは家族のためでもあるのだから、原告はこれに協力し、家事はすべて原告がすることは夫婦のあり方として普通、当然のことと考えていたもので、ねぎらいの言葉をかけたことはなかった。また、被告は、原告の家事労働が被告の会社の仕事にさほど貢献したものと考えていない。なお、被告は原告が自分の思うとおりの行動をしないときに、口で文句を言うことはあったが、肉体的暴力を振るったことはない。
しかし、原告は、このような生活について、以下説示するように、疾病に罹患して入院手術をくり返すなかで、不満、負担を感じるようになっていった。
2 原告は、昭和三七年に卵巣腫瘍のため左卵巣切除の手術を受けた。また、原告は、昭和四一年から約一六年間椎間板ヘルニアの治療を受けていた。
原告が最初に離婚を言い出したのは昭和五〇年のことである。これは原告が被告の夕食の支度も済ませた上でダンス教室に出かけていたところ、早めに帰宅した被告は原告がいないことに立腹し、一人で外食して帰ってきてから口を利かなくなったまま日々が過ぎていったため、原告が被告に、なぜ黙っているのか、不満があるなら離婚してほしいと言ったものである。このときは、これをきっかけに夫婦に会話が戻った。なお、昭和五〇年には、原告が疲れていたため、被告の友人の来訪を延期してほしいと言ったが、被告に断られたため、思いやりがない夫と家計簿に記載したこともあった。
原告と被告は、昭和五五年四月に結婚二〇年を記念してヨーロッパ旅行に行った。被告としては、原告ともども楽しさを満喫したつもりであったが、原告としては、その直前に長男一郎が発熱していたことなどが気がかりで、楽しいばかりではなかった。
被告は、その仕事ぶりが評価されて順調に栄進し、昭和五六年に技術部長、昭和六一年に情報システム事業部長となった。
3 原告は、昭和六一年に胃ガンの手術を受けたが、その際メモを作成した。これには、「被告との生活もこのままずっと続けていきたいと切望しています。」との記載もあるが、「まだ心のすみでどこかに自信のない部分があります。それで、一先ず今までの長い生活のことをお礼を云っておきたいと思います。」として、手術により原告に万一のことがあった場合を想定した記載(すなわち遺書のつもり)となっている。
原告は、右手術から自宅に戻り、しゃがむことに苦痛を伴うためトイレを和式から洋式に替えたかったが、被告はこれに賛成しなかった。また、原告は、この手術後重い物が持てなくなるなど体力が低下したが、被告は会社の仕事、原告は家事という生活状況には変化はなかった。右のとおり、原告はその後室内の片づけ等も従前ほど十分できなくなったのであるが、被告は、原告が室内を片づけないのはそのだらしない性格によるものと捉えている。
原告は、右手術時の輸血が原因で、昭和六二年にC型肝炎に罹患した。
被告は、平成元年六月に取締役となった。
原告と被告は、平成二年に結婚三〇年を記念してハワイ旅行をしている。この旅行についても、被告としては、原告ともども楽しさを満喫したつもりであったが、原告は、右のとおり手術を重ねた身体の具合から移動することがかなり辛かった。
4 平成四年一月に長男一郎が結婚式を挙げ、独立した。
原告は、平成四年六月ころから、自宅居間にソファーベッドを置いて寝るようになり、食事も被告と別に取るようになり、さらに、同年一二月には二階からベッドを持ってきて寝るようになった。被告は、これらの原告の行動に対し、なぜその様なことをするのかと尋ねることもなかった。
原告は、平成六年に右変形性股関節症のため人工骨置換手術を受けた。
5 被告は、平成七年四月に定年退職した。
原告は、同年五月ころ、被告が長女の行動を注意したことから二人の間で口論となったとき、被告に対し、それほど家族のすることが気に入らないなら自分と離婚してくれた方が良いと言った。さらに、原告は、平成七年一二月に、左脚手術の申込をしたところ約半年間待たされることになり、その間に離婚して、被告の世話をすることなく治療に専念したいと考え、離婚を切り出した。
被告は、このように原告が離婚したいと言うのに対して、拒否し、原告が離婚などと言い出すのは理解不能で、原告が愚かであるからと考え、被告には問題はないと思い、それ以上原告の気持ちを推し量ることがなかった。他方被告は、このころ、自宅内の乱雑な部分をわざわざ写真撮影している。
被告は、会社を定年退職した後も、被告は調理できないのであるから、食事の支度は原告がするべきだという考えを持ち続けている。
原告は、平成八年四月に左股関節臼蓋手術のため入院した際、「入院中はどなたともお会いしたくありません。」と記載したメモをのこしていき、被告が見舞に行くこともなかった。原告は、平成八年八月一九日に手術入院を終えて帰宅したが障害を持った身体では家事をこなすことも困難と自覚し、離婚の決意で同日から原告は二階で、被告は一階でと別れて生活するようになった。ただし、原告は、その後も被告の食事の支度だけはしていた。なお、原告は、右手術後歩行に両側杖を必要とし、日常生活行動に極めて制限を受けており、身体障害者四級と認定されている。
6 原告は、平成九年六月、横浜家庭裁判所相模原支部に家事調停の申立をしたところ、同年七月八日にその調停期日が開かれた。右期日においても、原告が離婚を求めたのに対し、被告は今後も助け合って生活していきたいと述べていたが、それからも自宅での生活において原告と被告との間に助け合いというものはなかった。
原告は、平成九年八月一五日に、「精神的にも体力的にも限界ですので、これからの食事の支度はしません。」と記載したメモを置いて、以後そのとおりにしている。右調停は、同年九月九日、調停の成立する見込みがないとして事件終了した。
原告は、平成九年一〇月一一日、「離婚を前提に別居します。」と記載したメモを置いて、自宅を出た。その際自宅二階の原告が使用していた部屋には施錠していった。
原告は、平成九年一一月四日、当裁判所に本件離婚訴訟を提起した。
二 原告は、原告にとって被告との結婚生活は、原告自身の感情や望みは押し殺して、趣味を楽しむことも許されず、ひたすら被告の意を迎えることのみに心を砕く生活であったと、婚姻後まもなくからの生活状況について縷々主張をし、これに沿う陳述をし、これに対して、被告は、原告主張の事実の殆どについて逐一否定し、離婚理由は存在しないと縷々主張し、これに沿う陳述をしている。双方が自宅への来客の頻度等に至るまで詳細な事実主張、陳述をしているが、結婚後間もないころの状況がそれほど重要なこととは解されない。それよりも、手術を重ねていき体力が衰えていく中での原告の心境、これに対する被告の理解、対応が問題である。
被告が原告に対し暴力を振るったり、不貞行為に及んだりしていないことは前記のとおりである。しかし、被告は、自分は会社の仕事に全力を注ぐから、妻である原告は家庭でそれを支えるべきである、これは普通の考えであるとして原告に接し、これに応じた原告の行動を求めてきたものであるところ、原告はその様な考えを当然と受け入れることができず、被告の右考えに基づく行動に同調できず、特に幾度となく入院手術を受けることで体力が衰え、障害を抱えた身体では家事を十分にこなすこともできないと思うようになり、また、そのような原告の状態に十分な配慮をしてくれない被告と共に暮らしていく意思を失っていってしまったものである。これは、夫である被告が定年退職したことによる一時的なものではない。被告が平成七年に退職する前の、長男一郎が結婚して独立した平成四年から家庭内別居が始まっているのである。その家庭内別居が始まってから七年、原告が自宅を出て別居してから二年近くが経過している。その間には家庭裁判所での調停もあった。しかしながら、離婚を求めている原告はもちろんのこと、これに反対している被告も夫婦関係を修復するための行動を取ろうとしてこなかった。
以上によれば、現時点において、原告は被告との婚姻継続意思を完全に喪失しているといわざるを得ず、今後夫婦関係が修復する見込みはなく、もはや原告と被告との婚姻を継続しがたい事情があるというほかない。
三 慰謝料
前記認定の原告と被告との婚姻が破綻に至った経緯その他諸般の事情を考慮すると、原告の被告に対する離婚慰謝料は二〇〇万円とするのが相当である。
四 財産分与
1 本件土地建物
《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。
原告と被告は、婚姻後の昭和四二年三月、自宅である本件土地建物を三三〇万円で購入した。代金は各自が二分の一ずつ出し合い、原告と被告の各二分の一の共有名義で登記をしたのであるが、原告は婚姻時に持参したその父から譲り受けた株券を処分し、被告は勤務会社の共済組合と住宅金融公庫から借入をして資金を作った。また、昭和四九年ころには自宅の改築もしたが、その際も原告と被告それぞれ二分の一宛費用負担し、その際も被告は金融機関から資金を借り入れした。被告の右各借入金については、その後被告の給料から返済を続け、現在返済は終わって抵当権も抹消されている。
そうすると、本件土地建物の内被告持分(二分の一)が原告被告が共同して形成したものとして財産分与の対象になる。
本件土地建物の評価額は四六一二万円である。
なお、本件土地建物に課された固定資産税、保全費用は被告の収入から支出されてきた。
2 その他
《証拠省略》によれば、次のとおり認められる。
(一) 預貯金等
被告名義の預貯金、株式、転換社債があり、その評価額は合計約六五〇〇万円である。
被告は、被告本人尋問において、これ以外に原告が相当額の預金(いわゆるへそくり)をしているはずだと供述するが、原告は、原告本人尋問において、被告から受け取っていた金員は家計に費消しており、その中から貯め込んだ金員はないと供述しており、そのような預貯金の存在を認めるに足りる証拠はない。
(二) 退職金
被告は、会社を退職するに当たり、一時金として約六〇〇万円の支給を受け、その後年金として年に約二三〇万円(健康保険料を含む。)を二〇年間支給されることになった。
右退職金については、被告がいったん選択した企業年金として受け取る方式を途中解約した場合は、既に支払った年金と元金の差額に市中金利相当分を計算して払い戻されることになっている。
平成一一年三月の支払を含めた支払総額は八〇一万五〇〇〇円(一一四万五〇〇〇円《半年分》×七回、健康保険料を含む)である。そうすると、平成一一年三月以降解約したとすると、その場合の受け取り金額は、元金一九九七万一九〇〇円から右既払分との差額一一九五万六九〇〇円となる。
(三) 年金
(1) 被告は、①老齢厚生年金、②B山電器厚生年金基金の基本年金及び加算年金、③B山電器福祉年金を受給している。その税引後の支給年額は、①が二一五万〇六六〇円、②が基本年金と加算年金と合わせて二三五万八二九二円、③が九〇万一二五二円である。
(2) 原告の年金
原告の六五歳からの年金支給見込額は年額四六万八三三五円である。この内訳は、厚生年金期間(婚姻前の就業期間)六月、一号納付(自分で保険料を納付)期間一三一月及び三号納付(配偶者の加入している年金制度から納付)期間一〇八月となっているが、その大半が婚姻後のものであり、その間は被告の収入から保険料が納付されたものと認められるから、右年金見込額全額を財産分与算定の考慮事由とする。
(3) 被告の受給する年金額五四一万〇二〇四円から原告の受給する年金額四六万八三三五円を控除すると四九四万一八六九円となる。
なお、原告は、神戸市灘区内に相続した所有土地があり、駐車場として賃貸しており、経費等を控除して月約一四万円余りの収入がある。
(四) 保険金受領権
被告は、①B山電器共済会グループ生命保険、②住友海上火災傷害保険等に加入しているが、①は一年毎の清算型で年間の配当金は一万数千円であり、②の解約返戻金については明確ではない。
結局右保険金受領権等は財産分与算定において考慮するものとはならない。
3 以上の本件土地建物の持分二分の一相当額二三〇六万円、預貯金等約六五〇〇万円及び退職金の年金方式部分を解約した場合の受取金額約一一九五万円の合計額は約一億〇〇〇一万円となる。
右財産形成についての原告被告の生活状況等諸般の事情を考慮すると、原告の請求しうる財産分与請求額はその五分の二とするのが相当である。そうすると原告が請求しうる財産分与は四〇〇〇万円となる。
原告は、本件土地建物の現物分与を求めていること、原告は本件土地建物に二分の一の固有の持分を有していること等を考慮すれば、本件土地建物の被告の持分の二分の一を原告に分与することが相当である。
なお、原告は、被告に対し、本件建物からの退去明渡しを求めているが、現在共有持分二分の一を有する被告に対し本件建物からの退去を求めることはできない(その求める趣旨が財産分与の結果本件建物の所有権が全部原告に帰することになってからのこととすると、現時点でこれを求める必要性は認められない。)。
本件土地建物の被告の持分全部(二分の一)を原告に財産分与すると、その評価額は二三〇六万円となるから、その他一括的財産分与として被告から原告に一六九四万円を支払わせることとする。
さらに、扶養的財産分与として、今後被告の受領する年金(退職年金は除く。)の内前記原告受領額との差額の四割相当額について被告から原告に支払わせることが相当であるから、原告死亡まで月額一六万円を支払わせることとする。
第四 よって、原告の請求は被告に対し、離婚及び慰謝料二〇〇万円の支払を求める限度で理由があり、財産分与として、被告から原告に、本件土地建物の被告持分(二分の一)の分与、一六九四万円の一括支払、原告死亡まで月額一六万円の支払をさせることが相当である。
(裁判官 長谷川誠)
<以下省略>